社長あいさつ

糸井重里

ほぼ日19周年のごあいさつ

じぶんの頭で考え、じぶんの足で歩く。
埃っぽい遠回りの道を、19歳は行く。

「ほぼ日」の創刊から19年が経ちました。
今日からは、20年目がはじまっているわけです。
みんなも言ってますけど、19歳です。

19歳。
こうして人間の年齢に喩えて「ほぼ日」を語ることも、
180周年とかになったらもうできないわけですが、
何年くらい続けていいものなんでしょうかね。
69周年とかになると、もう、
耳は遠くなったし足元もふらついて、
すっかりおじいさんですとか
言わなきゃならなくなるのかな。
などと冗談めいたことを考えていて、
いつものように、ぼく個人の19歳のときのことを
考えはじめていたのでした。

そしたら、たいへんたいへん、
これまでの16歳やら17歳18歳までと、
19歳はまったくちがっていたのです。

生まれ育った前橋という土地を離れて、
大学に入るという名目で東京にやってきて…。
入った大学を中退することになるまでの期間が一年足らず、
なにをどうしていいのかわからずに、
実にまったくあてのない日々を過ごしていたのが、
19歳のじぶんだったということに気づきました。
つらかったような気もするし、おもしろかったかもしれず、
切なくてさみしかったことも憶えているけれど、
あの素晴らしいほどにたいくつな時間がなつかしい。
右も左もわかりゃしないガキで、
東京という都会のことも知ったかぶりしているだけ、
大人たちにバカにされないように、
先回りして大人たちをバカにしようとしていました。
こどもだったときにしてはいけなかったことを求めて、
リードの外れた犬のようにうろついていました。

「ほぼ日」の19歳が、こういうイメージでいいのだろうか。
それはまずいような気がするなぁと思ったのです。

うまく生きる方法も、歩むべき道も、
だれに指図されることもなく(指図してもらえもせず)
じぶんで探さなくてはならなかった19歳の日々は、
膨大な無駄だったかもしれません。
でも、それは、じぶんの頭を使って考えざるを得ない、
じぶんの足で歩かざるを得ないような
たいくつで埃っぽいまわり道を行く旅でした。
そのときに、じぶんで書きつけたへたくそな地図が、
その後のぼくのこころのなかに
ずっと存在していて、使われているようにも思います。

そう考えたら、「ほぼ日」の19歳も、
そんなふうなことでいいんじゃないのかと、
あかるく思えるようになりました。
ほんとに大人になる前の、わけのわからない遠回りを、
19歳の「ほぼ日」も経験したらよいのです。
むろん、上場会社としてのルールは承知していますが、
ぼくらがやろうとしているのは、
先例がないことばかりだし、
こうすればいいという方法なんてものもなさそうです。
だったら、ねぇ、ぼくの憶えている19歳のように、
へたくそに迷い道を歩けばいいんじゃないでしょうか。
絶対に、それが、のちのち、
「あの時代があったことがよかったんだよ」と、
言えるような根っこになると思うのです。

いつもの創刊記念日よりも、
しっかりしたことを書こうと思って書き出したはずなのに、
まるで逆になってしまいました。
おかげで、これからの一年が、
ますますたのしみになりました。
いいぞ、ちょっと足りない19歳のじぶんたち。
そんな気分で、元気にやっていきます。
そして「やさしく、つよく、おもしろく」
これは、ずっと同じです。

19年間、ありがとうございました。
20年目がはじまって、
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


2017年6月6日

夢に手足を。
株式会社 ほぼ日 糸井重里


(2017年6月6日のほぼ日刊イトイ新聞に掲載したものです)